SEVENTH HEAVENS
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2012年9月27日 今年で俺も36歳、年男な訳で人生の節目は尽きるまで仕事に捧げようと正月からとりあえず半年間死に物狂いで働いた、おかげで財布は潤ったが気が狂った。記録的な猛暑だったこの夏、8月下旬そんな夏の終わりを惜しむかのように多くのオートバイが店の前を走っていた。…そういえば今年ハーレーに乗ったのは春のオイル交換の時だけだなぁ、もしかしたらこのまま来年になってしまうのか?いや、それはダメだ!いくら仕事に捧げる1年でもそれでは人間として駄目になってしまう、ならどうだろう?思い切って1泊2日で人生初の本格ソロツーリングなんてやってしまおうか!?制限時間の折り返しまで走れるだけ走ってそこでテントで寝て、残りの半分で戻ってくればいい、しかも1人旅なんて考えただけでゾクゾクする、1人でストイックな旅をするなんてまるで四国のお遍路さんのようだ。よし行こう、予定は1ヶ月後ちょどその頃には涼しくなっているだろう。

数日後、念のため友人にその話をしてみた。彼は高校時代からの付き合いで、私のハーレーを見てバイク屋に行き、入店5分で購入契約をした強者だ(しかも免許取得前)。まぁ、今回はひたすら走るだけ展開になるだろうから一緒に行くとは言わないだろうと思っていたら速攻で同行希望の返事が来て驚いた。あらら?1人旅のつもりがいきなり2人旅になったぞ、そりゃもちろん旅は道連れ一緒に来てくれればとても心強いし残す家族の不安も軽くなるだろう、そうなるとお遍路さんという感じではないなぁ…2人旅と言えば「弥次喜多珍道中」か?なんか一気に軽くなったぞ!?まぁいいや、こうなりゃ何処だって行ってやるさ。


今回の道具


臨時用自作シッシーバー

あっという間に出発が翌日に迫った、可能な限り仕事を前倒しで作った時間は27時間、朝出発して翌日の昼までに帰ってくればその日の出勤に間に合う。やるべき仕事はすべて終わらせたはず、あとはケータイが鳴らないのを祈るだけ、そんな不安と期待が入り交じった心境の中で荷造りを始めた、バイクの旅は荷物が多くなるほど味気ないものになるらしい、実際キャリアやバッグの付いていない俺のバイクに乗せられる荷物はたかが知れている、厳選に厳選を重ねて選んだ道具は就寝用はエアマットにシュラフ、遭難緊急用の簡易テント、ロープ、湯沸かし用にガソリンストーブにシェラカップとウォーターバッグ、あとは着替えと雨具と三脚、ライトに筆記用具、最後は表紙の「最新版」の文字が悲しい昭和62年発行の全日本ロードマップだ。これでもかなり減らしたつもりだが、バッグはギリギリのパンパンで道具選びの難しさを痛感した。

キャリアの無いバイクには荷物をくくりつけないといけないので、急遽シッシーバーを付けることにした。といっても今さら専用のパーツを買う時間もなければ金もない、慌ててホームセンターに行って塩ビパイプを買ってきて、それを熱して曲げてタイラップで固定すれば見事なシッシーバーが完成した。経験とは何でも役に立つもので、日頃からこんな事やっててホントに良かったと思った。

勝手な解釈だが「旅行」と「旅」には明確な差があるように思う、電車や車で快適な移動手段で行く旅行に対し、オートバイや自転車そして徒歩などで移動するのは旅といえよう、その中でもオートバイでの旅は特別だと思う、なぜなら移動速度は車と同じにもかかわらずむき出しの体で一歩間違えば骨を折るどころか死に至るほどの危険を伴う、消去法ではなくあえてオートバイを選ぶのに旅としての意義があるように思う。出発が翌日に迫ると今までの旅とは違う「身の危険を感じる恐怖」に似た緊張感が高まってきた、これまで前日の緊張感とは明らかに違った。


出発前の様子


旅の飯第1弾

天気予報では巨大な台風が2個も近づいてきていると警告を繰り返している中で、出発の日はまさに奇跡の晴天に恵まれた、これぞバイク乗りの「ヒキ」というやつなんだろう。久しぶりに車庫からハーレーを引っ張り出し、シッシーバーに荷物をくくりつけ、渾身の力でキックペダルを踏み込めば轟音と共に目覚める我がショベルヘッド。見送る妻とキッスを交わし、スロットルを捻り左足のクラッチを繋いで走り出したハーレーに跨る俺はもはや何にも縛られることのない大空のイーグルと化した。

国道沿いの駐車場で友人と合流し、出発前の記念撮影を済ませれば、これが遺影とならぬよう誓いを交わし進路を西へまずは国道8号を走り出す。自由の旅に目的地は必要ないが、能登半島の先端まで行くことができればと思っていた、そこは個人的な憧れの地でもあり、あの作家が旅した地でもある。小京都金沢から能登を現代の弥次喜多が旅するなんてちょっとロマンがあるじゃないか、しかもお恥ずかしながらハーレーで高速道を走るのはこれが人生初、俺にとってはもうそれだけで大冒険だ。

国道8号から名立谷浜インターで北陸道へ、合流車線で一気に加速しシフトを4速に入れたら後はもうハンドルにしがみついているだけの状態、防音壁と立て続けに続くトンネルに囲まれた空間は外界から遮断され、ただ走ることを意識しながら走る状態、何度も読み返したハーレー旅の本に書かれている感覚の中に俺は入っていた、俺の体にまとわりついていた仕事や日常生活のくだらない悩みや不安がまるで鱗のように体から剥がれていくのがわかった。もはや俺は現実ではなく、ノンフィクションの本の中の世界を走っている。

1時間ほど高速を走り黒部市に差し掛かった頃にはすっかり煩悩は消え、清々しい気分に満ちあふれていた。それでも俺の癖なんだと思うが必要以上にスピードメーターやトリップメーターを何度もチラチラ見ながら走っていると「ピシッ」という変な音と共にスピードの針が0になった「な、なんだ!?どうした?」バイクは猛然と走っているので問題ないのだが、どうやらメーターがイカレたらしい。速度はいいとしてトリップメーターが動かないと給油のタイミングがわからない、どうしようかと悩んだが、きっとこれは旅の神様が細かいことを気にしないで旅に没頭しろと言っているんだと思ったら妙におかしくなってヘルメットの中で少し笑ってしまった。

それにしても荷物をくくりつけたハーレー旅のなんとカッコイイ事か、猛スピードで過ぎ去るアスファルトの路面に写る自分の陰を見る度に惚々してしまう、俺の中ではこれ以上カッコイイ姿は無い。視線を右に向ければ富山湾、さらにその先には能登半島が霞んで見える、あの海の向こうまで行くんだと思うと感慨深いものがあった。

富山インターを過ぎた辺りで突然友人のバイクが路肩に寄って止まった「なんだ故障か!?ついにJAFか?」聞けばまさかのガス欠、5ガロン以上入るタンクでガス欠なんてマジか!?と思ったが、とりあえず冷静にバルブを予備タンクに切り替えてエンジンは復活、にしても次のスタンド有りSAまでは20km以上あり、いっそのこと最寄りのインターで降りちまおうかとか相談したが彼は強行、無事にスタンドにはたどり着いたがまったくもって波乱の予感。それにしても路肩に立っているときは生きた心地がしなかった。

至福の高速道走行は金沢東インターで終演を迎え、いよいよ未開の地金沢に突入する。当然ながらナビは付いていないので、事前に昭和62年発行の最新版ロードマップで予習しておいた道を探す、それにしても右も左も西も東も分からない、その上慣れていないハンドシフトで頭の中がパニック状態、それ以上に予想外だったのが交通量の多さ、ある程度の郊外であるにも関わらず車線変更すら困難な状態で意味不明な汗をかきながら逃げるように北を目指して走った。冷静さを取り戻した頃にはもう昼過ぎになっていて飯を食おうという事に、バイク旅に限ったことではないが初めての地で飯屋を決める基準は看板とノリ。何軒か気になる店を通り過ぎて滑り込んだのは新しい感じの建物のラーメン屋、決め手は昼過ぎにもかかわらず車が数台停まっていた駐車場。

店の新しさとは正反対に営んでいたのは老夫婦、「麺屋二代目」という名の店で私はいつも始めての店で頼むのはしょうゆ。日本のファストフードの代名詞であるラーメンなのに出てくるまでに時間がかかったがまずばスープを一口、おぉ!香ばしさが際だつ香り豊かなダシの効いたスープはかなり手間がかかっている感じ、具も丁寧に乗せられているので時間がかかったのも納得か。美味しくいただいた後、地図で現在地を丁寧に教えてくれたりとこの旅初めての人情に触れる。それにしても「二代目」が気になったが、店を出るときに隣に廃屋のような製麺所を見つけて納得した。


ころ柿ソフトクリーム


輪島市の様子

再びエンジンをかける、今までの高速走行をまったく感じさせないぐらい好調にエンジンは回る、能登半島の西側を進路を北に走り出す。この辺りの海岸線には「なぎさドライブウェイ」といって砂浜を走ることができる名所になっているらしいのだが、既にヤレかけているこのバイクを朽ちさせるわけにはいかないので今回はご遠慮させていただいた。海岸線と市街地を交互に抜ける国道は志賀(しか)という地名の所に入り道の駅があったのでそこで休憩。なぜかこの手の施設には必ずと言って良いほどソフトクリームが売られており、時折ご当地の素材を使ったそこでした食べられない味のがあったりする。で、見つけたのは「ころ柿」という柿味のソフトクリームだった。酒をあまり好まない俺にとってソフトクリームは大好物なのだが…実は柿は好きではない、この場はノーマルのバニラに逃げておこうと説明書きを睨んでいると若い女性店員が近寄ってきた、何も言わないのも変な空気なので「コレって柿の味のソフトクリームなんですね」と質問すると「そうです」という返事(あたりまえだ)。しまった!こんな質問してしまったら「じゃ、バニラで」なんて言えないじゃないか!?どうする?と、そこで俺は最高の選択を発見したのだ「ミ、ミックスでお願いします」。よし、コレなら食えない事はないだろう、さっそく溶けないうちにいただくと柿…というよりは栗の味がする、モンブランのケーキの味だ。俺はモンブランも好きではない…。カップルが楽しそうにソフトクリームを食べるベンチの横で、男二人もソフトクリームをむさぼる光景はハーレー旅としてはカットされるべきなのかもしれない。

ここで再び地図を見る、最端の禄剛岬の中間ぐらいに輪島市、輪島までは約60km、現在時刻は2時半…インター降りてからのこれまでのペースで考えるとちょっと嫌な予感がするが、行けるところまで行くのが今回の旅なのでとりあえず出発した。

再び海沿いに出ると強い風が吹いていた、山間には風力発電のプロペラが何基も立てられていて、この半島の西側はいつも強い風が吹いているのだろうと想像できた、そんな強風が海を荒らしてその波が岸壁に打ち付けるのだろう、奇岩が並んだ海岸線はもはや演歌の世界そのものでこれぞ日本海!ってな光景が続く。できればそんな絶景や鳴き砂の名所、「世界一長いベンチ」なんていう心引かれる看板があったのだが、「輪島まで○○km」という標識の数値が減るのに比例して太陽の位置がどんどん傾いてくる、この時点でもはや最端は諦めなきゃいけないと思い始めた。


輪島到達証拠画像その1


証拠(?)その2

やっとの思いで到達した輪島市、能登の路は果てしなく長い、そして時刻は午後の4時。岬までは志賀から距離とほぼ同じ。これまでの所要時間を考えると着くころには日没で真っ暗になっているだろう、仮にそこでテントで寝たとしても翌日昼までに帰るにはあまりにも距離がありすぎる。ここで俺達は決断を迫られた、経営者というのは決断の連続で仕事では博打のような選択はまずしない、でも今回は仕事ではないので無難に収める必要もない、ならば天秤に掛けるのは俺達を取り囲む人達そして家族、やっぱり無理はできない、そして能登はいつまでもここで待っていてくれるはずだ、最端制覇は次回の目標にして一路県道を南下し能登島を目指すことにした。…が、悔しさは抑えきれずしばらくの間は輪島到達の証拠になるような画像を撮りまくっていた。

大儀である目標は失ったものの、今度は安心して寝る場所を確保するために翻弄することになる。事前の調べでは能登島にあるキャンプ場が季節外れでも営業しているようなので今宵はキャンプでリョーリなんぞ楽しい夜が待っているはず、日没寸前の県道を七尾市に向けてひたすら南下すれば時刻は午後5時に迫っていた、なんとなくなんだが受付ってそんな遅い時間までやっているんだろうか?なんて余計な不安がムクムクと沸いてきて、旅路を急ぎたくなるのだがウンザリするほどそこら中でケーサツが取り締まりをしていてどうにもならない、石川の車は皆ゆっくり走っていたのだが、はたしてこれは県民性なのか過剰な取り締まりのせいなのか?

アメリカにあるようなカッコイ橋を渡るといよいよ能登島上陸、日没ギリギリ時刻は5時を少し回ったところなのでこれなら大丈夫だろうと時季外れの閑散とした観光地を抜けてたどり着いたキャンプ場…の入り口は鎖で閉鎖されていた。鎖で塞がれた入り口の横には「ご利用の方は受付までお越しください」という立て看板があり、仕方ないのでバイクをそこで降りて歩いて施設の見えるところまで行ってみた。閑散としたキャンプ場は全く人の気配もなく逆に薄気味悪いぐらい、たどり着いた受付はブラインドが閉められ完全に俺達の受け入れを拒否していた。「終わった」予定していた楽しい夜になる予定と寝る場所を失った俺達は放心状態気味でバイクの所に戻った。この立て看板を蹴り倒してやろうかと思ったが、今は一刻も早く寝る場所を確保したい心境だったので早々に再出発、このハプニングと日没の暗さで一気に孤独感と不安がこみ上げてきて、とにかく人の温もりに触れたくて逃げるように和倉温泉街に向かった。予定通りなら能登大橋を感動しながら渡るはずだったのに今は単なる橋にしか思えない、向こう岸にみえる明るい街に早くたどり着きたい、情けないけどそれが本音だった。


閑散としているキャンプ場

ガソリンスタンドで給油のついでに温泉施設がないか聞いてみると、バイトの高校生(たぶん)にもかかわらず丁寧に教えてくれて、迷うことなく見つけることができた。公衆浴場と書くにはあまりに豪華な施設で、その敷居の高さに思わず二の足を踏んでしまいしばらく2人で温泉街をウロウロしていた。楽しいキャンプのはずがまさか路頭に迷うことになるなんて…バイク旅のベテランであればこんな事は何の苦にもならないんだろうけど、お恥ずかしながら俺らはコレが初の野宿なわけでどんな所で寝ればよいのか検討もつかない。公園のベンチに座りこの後の行動について会議する、とりあえずは夕飯そしてせっかくだし温泉、そしてテント…当然ながら温泉街にそびえ立っているような豪華なホテルになんか泊まる資金はないし、行った所でこんな怪しげな男二人組なんて断られるにきまっている、ならばまずは近くでテントを張れるような場所を探そうと歩き出す、公園のベンチには温泉の熱を利用して温かくなっているのもあり「この上なら凍死はしないよね」とか廃ビルの軒下を見つけて「ここなら雨が降ってもとりあえずは大丈夫だな」とか普段の生活なら考えられないような会話が繰り広げられていた。そんな路地を抜けた所に質素な旅館があり、その時の心境はよく分からないけど聞くだけ聞いてみようとフロントのベルを鳴らして出てきた若女将に「素泊まりでいいんですけど部屋はありますか?」と聞くと「はい、お一人6,300円です」とあっさり返答。マジで!?一瞬顔を見合わせた俺達が放った言葉は迷うことなく「よ、よろしくおねがいします!」コレでいいのか?結局こんなか?ストイックな旅を求めていた俺の心にほんの僅かな後悔気持ちがあったが、すぐにそれも吹っ飛び満面の笑顔で温泉旅館に滑り込んだ。


温泉街で見つけたお好み焼き屋


ツーリング後のビールは最高だった

安心したら一気に腹が減ってきた、これまでの不安を吹き飛ばすように夕飯は豪勢にやろう!せっかくなら海鮮食おう!見つけた料亭、豪華海鮮丼が2,300円…も、もうちょっと探してみようか…と、見つけたお好み焼き屋に満場一致で逃げ込むように入店、なんで温泉街でとは思ったがこれが意外に本格派、ジョッキのビールと共にあらゆるメニューを注文して腹が割けるぐらい食いまくった、普段あまり酒は飲まないが今宵のビールは今までで一番うまかった。

宿に戻ると部屋には布団が並んで敷かれていた、男二人旅の温泉旅館…間違いは絶対に起こらないけどあまりにも布団同士が近すぎる「一応ね、一応…」妙な空気感の中で30cmほど布団をずらした。質素な旅館であれどそこは有名な温泉地、浴場のたっぷりの湯に足を伸ばして浸かり張った肩や腕を癒す、最高に気持ちいい。こんな体験を重ねてるからバイク乗りはまた旅に出たくなるんだろう、いろんな事があったのにあっという間に終わってしまった、明日の昼にはもう日常に戻っているのかと思うと少し残念でありながらも家族に会えるという嬉しさが入り交じる、これが旅独特な感情なのかもしれない。そんな出来事をノートに書きとめているうちに眠気が襲ってきてテレビもろくに見ずに眠りに落ちた。


移動前の布団位置


翌朝出発前

翌朝6時前に起床、女将さんにお礼を言って6時半に出発(素泊まりだから当然だけど)朝飯も食わずに走り出す。なんでこんなに早く出るのかというと、昨晩に地図を見て逆算するとこの時間に出発しないと昼までに間に合わない可能性がでてきたから、できれば朝飯に海鮮丼リベンジをゆっくりと堪能したいところだったけどこればかりは仕方がない、束縛のない自由な旅かと思っていたけど、昨日も今日も結局時間だけには解放されなかった。でもそんな束縛を逆手にとれば、たぶん富山の氷見に着くころにはちょうど朝飯時だから、氷見漁港の新鮮な海の幸で腹ごしらえをしようと企んでいた。

今度は能登半島の東側に抜けて海沿いを南下する、西側とは正反対にとても穏やかな海、風も無く早朝なのに暖かくすら感じるぐらいだ、たぶんこの辺りが昨日魚津から見た所だろう、晴天なら海の向こうに立山連峰が見えるのだが台風の雲のせいか残念ながら霞んで見えない。蜃気楼で有名な富山湾、この時期では見ることはできないけど海の果てに見える富山の街並みが蜃気楼のように揺らいで波の穏やかな海面に映る。畑道具を自転車に積んでいるおばあさん、足早に学校に向かう制服姿の中学生、いつもと何も変わらない日常の中で荒れ狂うエンジンを股ぐらに抱えて座るシートの上だけが特別な場所、ああこの時よ永遠なれ。

午前8時氷見市到着、海の幸で有名なこの地なら道の駅に行けばご馳走は間違いない。この旅最後の給油で再び路を訪ねる、つくづく思うがナビがあればこんな出会いは無いわけで、改めてバイク旅の良さを実感する。さて、問題の道の駅の場所を訪ねると「あっ!今、道の駅は移転工事中で閉鎖されているんですよ!」でました「閉鎖」2発目。さすがに2回目は動じないというか、もはやどうでもいいという感じで、一応市街地の食堂を探したがあったとしてもこんな朝っぱらから営業なんかしているわけもなく、早々と諦めて最寄りのインターから高速道に乗った。


待望の海の幸


しんきろうソフトクリーム

この時点で時刻は9時近くになっていたと思う、予想ではもう寄り道している余裕はない。手が痺れるまで休まず走り有磯海SAで遅めの朝飯に立ち寄った、この辺では比較的大きめなサービスエリアなので昨日からの唯一の心残りである海の幸をここで食ってやろうと勇んで食券売り場へ「海鮮丼…売り切れ」3発目きたか!?と思いきや横には10時から販売開始との表示、現在時刻は9時50分「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」先に土産物コーナーで買い物をする。

ついに目の前に現れた海の幸!見た目はイマイチだがサービスエリアで1,000円ならこんなもんだろう、撮影するのも忘れるぐらい興奮しながら一口目をがっついた…ん?う~ん、うぅ~…イマイチ。なんというか米がマズい、生まれた時からコシヒカリしか食ってない生粋の米所育ちの俺にとっては致命的、しかもこの時期だから売れ残りの古米を使ってやがるな?刺身もちょっと薬臭いのがあって最後の晩餐には誠に残念な結果だった、唯一の救いは友人から味噌汁をもらって腹は満たされたという事か?(なのでダブル味噌汁になっております)。さっきの土産物を見たときに思わず衝動買いしてしまった洗面器、買ったは良いがはたしてどうやって持って帰るべきかこの後悩む事に…。

なんだが腹の虫が治まらず、食後に挽回すべく挑んだ「ご当地ソフトクリーム」第2弾!ここ有磯海SAでは「しんきろうソフトクリーム」なるネーミング、まったく味の想像がつかない。見本の模型はうっすらと青みがかった色をしていて全く味の想像がつかない。さらに調べると「海洋深層水を使っています」全く味の想像がつかない。もはや食う以外の選択肢はなく、再び男二人で並んでいただいた。なるほどほんの僅かだが塩味があってさっぱりとした後味、モンブランソフトより断然旨い!やっと最後に当たりを引いて気分も良くなり、いよいよ俺達はこの旅のファイナルランを迎えることになる。


癖で100回は見てしまった動かぬメーター

時刻は10時30分。もはや途中で休憩する時間はない、可能であれば家まで一気に走ろうと話し合って高速道の本線へ再び走り出す、メーターが壊れて速度が分からない俺に代わって友人が前を走る、この2日間の出来事と目の前を堂々と走る友人の姿が重なってまるでウイニングランをしているような気分だった。

30年前のハーレーダビッドソンはメーターが壊れたという事以外は何のトラブルもなく走りきった、一旦帰宅してすぐに店に出勤するためにエンジンをかけてもまだ走り足りないと訴えるかのように力強い走りに本当に素晴らしいオートバイだと思った。出発から27時間で走行距離620kmは今の俺にとっては十分すぎる大冒険だった、数え切れないくらい笑い、動揺し、苛立ち、感動し、人生を恐縮したような時間を過ごせたのはかけがえのない経験になるだろう。

さぁ、次は何処へ行こうか?今度は東か、はたまた南か?何処へだっていいさ、ハーレーの旅は間違いなく素晴らしい旅になる。

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