SEVENTH HEAVENS
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グッピーと木化石2 2018/6/16
私がアクアリウムショップを始めて間もない頃、まだ水槽メンテナンスの依頼なんてほとんどなく、毎日生きてゆくので精一杯だった。

そんなある日とある老夫婦から自宅の水槽に熱帯魚を入れて欲しいという話が来た、聞けばたまに遊びに来る孫に見せてあげたいけれ、世話をできる自信がないという事で尋ねたことから始まった話。 その老夫婦の家には以前金魚を飼っていたという時代遅れの水槽があった、五色砂に木化石…いかにも昭和の雰囲気のその水槽にヒーターを設置して数匹のグッピーをいれただけなのにとても喜んでくれて、それから2ヶ月に1度夫婦の奥様である京子ばぁちゃんから「水槽お願いね」という電話かかってきて、その翌日にメンテナンスに行くのがすっかり恒例となった。

たかが30センチほどの水槽、掃除なんて15分もあれば終ってしまう。でもその後に「さぁ、さぁ、こちらへ」と茶の間に案内されてお茶を飲みながら世間話をするのが本当に楽しくて、1時間なんてあっという間に過ぎてしまう。そして別れ際に作業代として2500円をもらうのだけども、3000円預かってお返しした500円玉を満面の笑顔で私の手に握らせてくれるのである。 このご夫婦は本当に仲が良くて、若い頃からどこへ出掛けるのにも一緒だったらしい、そして80歳を過ぎても小さな家で日々二人で暮らし。そんな二人の生き方が自身の夫婦生活に影響を与えたのは言うまでもない。

こんな日々がいつもまでも続けばいいと思いながらも、いつかは終ってしまう。そんな不安を感じ始めたのは10年目を過ぎた頃。 2ヶ月に1度だった電話が、3ヶ月に1度になり、やがて半年に1度になった。京子ばぁちゃんは時折体調を崩して入院することもあったそうで、この頃にヒーターを使う熱帯魚は危ない気がしたので、水槽には金魚を入れる事にした。

それから5年間ほど半年に1度のペースで水槽の掃除は続いた。成人式を過ぎたばかりだった私も40歳を過ぎ、それでも京子ばぁちゃんは最後に500円玉を握らせてくれた。でもその手に感じる力は明らかに衰えを感じ「もしかしたら今回が最後の仕事かもしれない…」と考え始めたのはこの頃。 最後の電話から1年が過ぎた頃、俺は自分の中で葛藤を繰り返すようになる。たぶんあの夫婦に何かが起きているんだ、様子を伺いに行くべきなのは十分に承知しているけど、現実を目の当たりにする事が怖くて「来週行こう、来週こそ行こう」を繰り返して3ヶ月過ぎた時、新聞の片隅に京子ばぁちゃんの名前が載っているのを見てしまった。

いろんな感情が入り乱れてしばらく何も考えられなかった。でも人間、いや生き物である以上は仕方のない事なんだと自分の中で気持ちを整理し葬儀場へ向かった。 入り口にはご主人が喪主として来賓者を迎えていた、気丈に振舞ってはいたけどもショックは隠しきれていない様子。そこで初めて知ったのだけども、京子ばぁちゃんは数年前に重い病に倒れ、手術や入退院を繰り返していたのだそうだ、それはちょうど水槽掃除の周期が遅くなる頃と重なっていた。「楽しい思い出をありがとうございました」とご主人にお礼を告げ、式場に向かう途中に飾られていた思い出の品の中に京子ばぁちゃん直筆の詩に目が止まった…  「病床のやすらぎ 金魚を友として」 割り切っていたはずの自分の中の感情が一気に壊れた。

亡くなる数日前にも関わらず金魚に癒しを感じてくれていた事、それなのに様子を見に行く事を躊躇っていた自分の情けなさ。何が「仕方ない」だよ、20年近く過ごしてきて最後はこんな終り方なんて無責任すぎるだろ!俺は今まで何をやってきたんだ… 500円玉を握らせてくれた京子ばぁちゃんの手の温かさの記憶と共に涙が溢れてくる、京子ばぁちゃんごめんなさい、俺何もできてなかった。今までもらった500円のお返しできなかった、ごめんなさい。こんなの情けない、情けなさ過ぎる…。

俺、この仕事辞めたい。今まで何となく考えたことはあったけど、今回以上に強く思った事はない。今まで目指してきたものがいかに薄っぺらいかを思い知らされたから。でも京子ばぁちゃん優しいから笑顔で許してくれるんだろうな、これからも「熱帯魚屋さんお願いね」って言うんだろうな。どうすればいいの?俺。

アクアリウムが病床でさえ心の支えになるという事を身を挺して伝えてくれた京子ばぁちゃん、俺の意思とは関係なく向かうべく方向には力強く光が差す。こりゃたまらんな…京子さん、この先の仕事500円じゃ安すぎるよ。

※2017年10月12日 フェイスブック掲載記事より引用
 この回をもちましてコラム掲載を終了させていただきます、これまでご愛読いただきありがとうございました。