SEVENTH HEAVENS
logo
いい石だしてるツアー with 家族 2014/8/21
いつも通り夜11時ごろに日記を兼ねたブログを書き終えて布団にもぐりこむ、いつもなら一瞬にして眠りの世界に入るのに今日はなかなか寝付けない、何度か寝返りをした頃に携帯電話の目覚まし時計が鳴った。午前1時。

夏休み、一大イベントである「家族旅行」。週末は必ず仕事である自分にとって(最近はそうでもないけど)家族と出かけられるのは平日に学校が休みの時だけ、そして季節的に「勝負」できるのは夏休みぐらいなのである。だから夏休みの1ヵ月間はできるだけ家族と出かけてきた、その中でもメインがこの旅だ。

今年で娘は小学校4年、息子は3年、親父と喜んで出かけるなんてのもそろそろ終わる頃かもしれない、だから今年は一生記憶に残るような旅にしたいと思っていた。自分の経験から言って新幹線で行って眺めのいいホテルに泊まって…なんて旅行はほどんど記憶が無い、旅の記憶が明確になったのはオートバイの免許をとってからだ。

旅は過酷であるほど記憶に残り、同行者との絆を強くする。よし!テーマは決まった。俺を強くしてくれた今までの旅を家族と共に挑戦してみよう!それがつまり…

   「いい石だしてるツアー with 家族」

なのである。

それなりに緊張したからだろうか?たしかに普通の家族旅行とはゾクゾク感が違う、2時間ぐらいは寝るつもりだったのだけれど、結局寝れずに午前1時を過ぎてパソコンを立ち上げ、出発の報告を読者に告げてから車に荷物を詰め込んだ。

出発の準備を終わらせてから子供をたたき起こし、車のエンジンをかけたのが午前1時半…いよぉ~し、やったろうじゃねぇか!いつもはただの運転係だが今回の主導権は俺にある、最近のパターンである上越高田インターから上信越道ではなく、国道292号で長野県の飯山市に抜け、今度は中野市から渋峠に向けて山を登る。そう、こんな時間に出発したのは横手山で朝を迎えるため、あの感動を家族と共に味わうのだ。

深夜ゆえただでさえ行き交う車は少ないのに、渋温泉郷を抜けるころには走っている車はこの1台だけ、ライトを消せば暗黒世界の夜の峠をじりじりと登り、徐々に気温が下がってくると気配を感じた家族が起き始めた。空気は澄み渡り空の星はいつもより3倍明るい、そして標高は2000mを越え森林限界の開けた高原世界が広がり始めた。

午前4時、横手山山頂行きリフト乗り場到着。当然リフトは営業前だが東の空がうっすらと明るくなり始めていた。 寒い!あわてて上着を取り出して着ていると東の空が瞬く間に明るくなっているのがわかる。まずい、このままでは日の出に間に合わない!山頂までは金谷山リフト(日本でのスキー発祥地)の2倍の長さであろう山道を徒歩で登らないといけないのだ。

東の空は青から白へ、そして紫へと刻々と変化する、その周辺の雲は赤く照らされてとても言葉では言い表せない幻想的な世界。俺は空気の薄い中で苦戦する家族を置き去りにして夢中で山道を駆け登った「あの朝日をもう一度見たい」そんな思いが俺を突き動かしているようだった。

30分ほど登って足が重くなり始めた頃に巨大なアンテナ塔が見えた、山頂まであともう少し。すると寝間着姿で日の出を待っている老夫婦に会った「今日は見れますよね?」俺が言った、「絶好だよ」と答えるご主人。この場所でこの時間なら挨拶や目的を語る必要はない、誰もが同じ気持ちなのだ。

見た感じ定年退職して老後を楽しんでいるという夫婦はトレッキングがてら山頂のヒュッテに宿泊していたらしい、昨日の朝はガスが立ち込めて日の出を見ることができなかったのだそうだ。3人で眺めの良い場所を探しているとようやく遅れて家族が到着した。時刻はまもなく5時になるところ、周囲はすっかり明るくなり、空の彼方まで広がる雲の海に近隣の山々の頂が浮かび上がっていた。

黄金色に染まる東の空を見つめ続けること15分、一瞬小さな炎が見えたかと思うと雲海の彼方から一気に太陽が姿を現すと「スゲェ!すげぇよ」思わず声を出してしまった、今まで見た来光の中でぶっちぎりで綺麗で、最も感動的だった。全員無言で立ち尽くしていたが、1分も経たないうちに太陽は雲の上まで昇り、眩しくて目を開けられなくなったので周辺を散策。見渡せば森林限界の低木と草原だけの山、これがなんとも言えぬほど心に刺さる。やっぱり横手山はすばらしい、そしてこんな所まで車でやバイクで来れるってのがもっとスゴイ!

30分ほど散策したところで家族が寒さに耐え切れず一旦下山することになる、苦労して登った山道をあっさりと下り、車に乗り込んで一時休憩。時計を見たらまだ6時すぎだった。さすが交通の便が良いだけあってそんな時間でもスポーツ選手が高地トレーニングをやっていたり、トレッキングの人達が行き交っていてさっきまでの静寂感は全くナシ。 そして、1時間ほど休んだところで子供がついに恐怖の言葉を発した「トイレに行きたい」…無いのである、何をやるにも維持費がかかる標高2300mの地で、ましてや公衆トイレなんてのはもってのほか、ならば売店や食堂のトイレを借りるにしてもまだ営業前、山頂のヒュッテなら入れてもらえるかもしれないけど、リフトが動き出すまでにはあと1時間は待たなければならない、もはや俺達に選択の余地は無かった。

「もう一度登るしかない」

高地の気温は低くて涼しいけど、逆に日差しは強い。日陰の無い上り坂を登っていると汗が出てくる、さらに寝不足か低酸素なのか息子が頭が痛いと言い出したので背中に負ぶって登りだすと汗は倍増、Tシャツ1枚で汗だく…周囲の人から異様な目で見られていたに違いない。夜明け前と違って目標が無いからなのか足が前に進まない、いつまで経ってもアンテナが見えてこない。ぬぇ~、早くもこの旅を企画した事を後悔していたりする、だからと言って弱音を吐くと責任を取らされそうなので無理して楽しそうにはしゃぐ親父。

あぁ~、やっと着いた。二度目の登頂…ってかリフト動いてますけど?どうやら登っている間に営業が始まったらしい…全て思い出になるさ。ヒュッテはまだ営業前だったものの事情を話してトイレを使わせてもらい、戻ってくる頃には焼きたてのパンが棚に並べられていた。このヒュッテには「雲の上のパン屋さん」という別名がある、標高2,300mの山の頂上でパンを焼いているのだ。こういう過酷な地での食べ物はレトルトに手を加えたようなのが多いけど、完全手作りで手の込んだ焼き立てのパンが食べられるのは日本でここだけ、横手山に来たのなら食べない理由は無いのである。

カレーやチーズの入ったのとか、クリームやチョコの入った甘いパンもある、そのどれもがちゃんとこだわっていて中の具材まで手作りなのかな?と思えるほど。そしてパン生地は外はカリッとしているのが特徴で、高地ならではの気圧の恩恵らしい。そして、いつも気になっていたのだが横手山4度目にして初めてオーダーを決意したのが…「きのこスープ」である。

ホワイトシチューのようなスープが入った大き目のマグカップの上をパン生地で包み、それをオーブンで焼くとまるでキノコのような形になるからその名前になった…であろうメニューは界隈ではそこそこ有名で、わざわざコレを食べにやってくる人もいるらしい。ならば食べない理由はないのだが、問題はその価格、単品でも950円という平地のランチならライス大盛のドリンクバー付けてもまだお釣りがでそうな高級料理レベルなのである。故に予算の厳しい一人旅では具すら入ってないプレーンのパンを食べるのが精一杯、ましてやキノコなんぞ夢のまた夢なのである(石ツアー「リユニオン」参照)。

だけど今日は夏休み特別企画、お父さん頑張っちゃうもんね。せっかく家族4人で来たんだから「きのこスープ…2個で。」1枚約1,000円の食券を持つ手が震える、そして待つこと10分…オーブンでこんがり焼かれた大きなキノコが登場した。こ、これが夢にまで見たスープか、パンパンに膨らんだパンにスプーンで穴を開け、ちぎったパンに中のスープをつけて一口………う、うまい!意外だ、何が予想外っててっきり見た目でシチューかと思っていたらちゃんとスープなのだ、例えて言うならポタージュに近い、それでいてタマネギやにんじん、ジャガイモなどがたっぷり入った具沢山スープ、しかも危険なぐらいアツアツである。きっと冬のスキー客の体を温めるにはもってこいなんだろう、夏でも十分うまいけど。

4人家族で2個のスープ…当然ながらどこかの国境のようなきな臭い状況になりながらも5分ほどで全ていただきました。

時間は午前10時。太陽の位置はすっかり高くなり、いつの間にか雲海は晴れて遥か下に長野市街が見える。雲海=朝というイメージがあるけども、やっぱり麓の地表が温められると消えてしまうのだろうか?しばらく記念撮影などをして楽しんだ後、横手山山頂を後にする。帰りはもちろんリフトだが、乗ってみるとこれだけの距離を2度も歩いて登ったのが信じられないぐらい長かった。ありがとう横手山、またいつか必ず来るよ。

長野と群馬の県境にあたる渋峠、今まで群馬方面に下りたことがなかったゆえ初挑戦してみる。出発してすぐに驚くのはその絶景、緑の絨毯が敷かれたような高山地帯の尾根を這うように続く道を走るとまるで鳥になったような気分、きっとバイクならもっと気持ち良いはずだ。そしてしばらく進んだところに「日本国道最高地点」なる石碑が立つ、ここは日本全国の国道の中で一番標高が高いところなんだそうだ。そんな所に自転車が何台も停まっており、どう考えても自力で登ってきたとしか思えない、実際この先何台ものロードバイクとすれ違ったのでここを制覇する「意味」があるんだろう、申し訳ないがクレイジーとしか思えない。

そしてさらに先へ進むと草原だった山肌が岩と土がむき出しになった褐色のような荒地に変わり、道路端に「湯釜には入れません」と書かれた標識が立っていた。

この状況、そして「湯釜」なんていうネーミングであれば想像がつく。そしてこの道は現在夜間通行止めなっているのだが、その理由もわかった。ここは白根山という有名な(ぜんぜん知らなかったけど)観光スポットで、近くに車を停めて火口ギリギリのところまで歩いて見に行けるという楽しそうなところなのだが、火山活動が活発化しているようで駐車場は閉鎖されていて、火口から半径1km圏内では歩行および車両駐停車禁止という物々しい雰囲気になっている。道路脇には見張りの車もいたので夜まではやってらんないから通行止めなんだろう。それにしても別世界、まるで地球が口を開けているようだ、地球って生きているんだなぁとしみじみ思ってしまう、そしてこの辺りから温泉地特有の硫黄の匂いが気になり始めてきた。

分水嶺を過ぎて道は下り坂が続く、外はまだ岩と草だけの世界。時々路肩のスペースに車を停めて写真を撮るが、きっとこのスケール感は画像では伝わらない、だから目に焼き付けておこうと必至に記憶に残した。森林限界との境目付近まで下ったであろう所に「この先駐停車厳禁区域あり」という標識が立っていた、おっ!?きっと車を止めたくなるような絶景ポイントで、渋滞を防ぐための標識なんだろう、妻にカメラを用意させてから窓を開け、なるべく速度を落としてそのポイントに近づいていった。

でました「駐停車厳禁」ゾーン!石がゴロゴロしてるぞ、絶景はどこだ…グハァッ、ウゲェ~、臭せェッ!と書いたが、実際は「クサイ」なんて言葉を出せないぐらいの激臭、呼吸をしたいけどその臭いがゆえに息すらできない、それはあの温泉の臭いだが風呂で嗅ぐレベルの1000倍以上の濃度、そして妻が地面から猛烈な勢いで「黄色い気体」が噴出しているのを指差した。この時俺は直感した「ココは地球のケツの穴だ!」ここままでは命が危ない(しかも窓全開だったし)、急いで車を進めてゾーンを抜けて近くのロープウェー乗り場の駐車場へ逃げ込んだ。

しばらく家族全員放心状態だった、そして全員の無事が確認できた途端にあの「臭い」に関する感想を思いつく限り言い合った。俺は「オナラ」が黄色く描かれるのは漫画の世界だけだと思っていた、だけど気体の臭さが限界まで濃縮されると黄色になる事を知った。家族ではこの場所を「オナラポイント」と命名した。

後で調べて分かったのだがこの場所は「殺生河原(せっしょうがわら)」という名前が付いていて、その噴出する硫化水素ガスがあまりにも高濃度がゆえ草木すら生えないという恐ろしい所なんだそうだ。その臭いもさることながらネーミングセンスが素晴らしい、駐停車厳禁とされているが徒歩での散策が許されているという奇妙さも良い。今後ぜひとも再挑戦したいと思った。


毒ガスに怯えながらもロープウェー乗り場でマンゴーソフトクリームをペロリと平らげ、車は再び志賀草津道路を南に走り名湯草津温泉街に到着した。ここは初日の目的地でもあるが宿泊予定地でもある、なぜに「予定地」なのかは後ほど書くことにする。

まずは駐車場を確保すべくウロウロしてみるが、狭い路地が入り組んでいて運転しづらいったりゃありゃしない。半分道に迷ったような展開になったが公営の駐車場を発見し、割高な料金に不満を抱きながらも車を停めて、そこから徒歩での温泉街散策を開始した。

情報誌やテレビなんかで何度も見た事がある「湯畑」、本物を見る事ができて感動…というよりも再び現れた殺生河原臭に気力と体力を奪われてゆく御一行。とにかく一度離れようと裏通りを進むと饅頭屋の前でいきなり饅頭を渡されて食っていけと連れ込まれた、なんという温泉町人情!かと思いきや陳列ケースの奥に並んだご婦人達(←できればもっと汚い言葉で表現したいぐらい)の怒涛のセールス攻撃、買わなきゃ店から出させないぐらいの威圧感だったがここは俺も20年近い商人歴ゆえそんな手は通用しない、「ごちそうさま」の一言でサラリと店を後にする。すぐさま正面の店でも饅頭を配っていたが完全に無視する。

再び湯畑に戻ってきたが、息子が完全に毒ガスにやられたらしく顔面蒼白で気を失いそうになっていたので、とりあえずラーメン屋に逃げ込んで昼食にするも、店から出れば再び毒ガスで半分ノイローゼ状態だったので早々と車に戻り公衆浴場へ移動した。

ごろ寝ができるお座敷を完備した公衆浴場で夜になるまで休むことにした。草津の名湯を存分に楽しみたいところだったが名湯という名の殺生河原に息子はついに完全毒殺され、せっかくの草津でろくに風呂も入れずに座敷で死に眠っていた(この事件以来息子はゆで玉子を食えなくなった)。20畳ほどの座敷に何組もの家族連れが横たわる様は災害の避難所そのもので、こんな生活が何日も続く避難生活の苦労が少し分かった気がした。

日が暮れて草津の街は夜になった。公衆浴場を出て車に乗り込み、今日の宿泊地へ移動する。泊るのは道の駅の駐車場…そう、今宵は家族初めての車中泊に挑戦なのだ。別に宿代がないのではない、俺は今回の旅をあえて過酷なものにすればきっと記憶にも残るし、家族の団結が高まるはずだと狙った上で計画したのだ。すでに駐車場には同じような車が並んでいたが、豪華なキャンピングカーや大きなバンがほとんど。その中で父母、小学4年の娘、3年の息子の4人で軽自動車1台というのは間違いなく本日の過酷度ナンバーワンだった。まずは座席を全て倒してフラットの状態にして4人で縦に寝てみる。体を横にしてまっすぐの状態でギリギリ並べる状態で「川の字」なんてもんじゃない、まるで真空パックのウインナーのようで寝返りなんて絶対不可能。いろいろと試行錯誤した結果、俺が車の前方で小さくなって残りの3人が縦に並ぶ事になった。そして俺はまるで母体の中の胎児のような格好でうなされながら朝が来るのをひたすら待つことになる。

朝7時に逃げるように道の駅を出発し、もはやこの家族旅行に「過酷」は充分だと判断し、その後は普通に高崎で遊んで帰ったのだが、記憶に残すのと団結力という狙いは的中したと思う。…たぶん。

二十歳の頃にフィリピンのマニラへ行った時、未舗装の裏通りで物乞いの子供達に車を囲まれた経験が俺の中の何かを変えた。とある作家がこう言った「旅をしようよ」と。旅と旅行には明確な差があって、この国のほとんどの人達が楽しんでいるのは旅行だ。モノが溢れたこの国で、快適なシートに揺られながら目的までの到着時間を10分早めるために数千億もの税金をつぎ込まれた乗り物に乗りながら、先住の動物達を追い出し森林を伐採して作られたホテルに泊り、食べきれないほどの食事をする…残念ながら旅行では人は強くなれないし変わらない、意味が無いとまでは思わないけど俺は旅の方が好きだ。眠い目を擦りながら日の出を待ったり、毒ガスに襲われたり、狭い車の中でうなされたり…辛いこともあったけどイライラするようなことは一切なかった、コンビニで買った淹れたてのコーヒーが何よりのご馳走だった。

だから俺も胸を張って言おう、一人でも家族でも旅は楽しい。だから「旅をしようよ」。