SEVENTH HEAVENS
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理想郷 2012/8/18
これからあなたが読む物はあくまでも事後の事であり、現在は何事もなかった事のような日常を過ごしているということを付け加えておきます。

ある日突然、妻が精神異常を起こした。今までの過ごした自分の人生すべてが失敗で、役立たずな人間であると言い出し突然号泣した。それから数日視線の焦点は合わず、俺が何を言っても理解できないと叫ぶだけ、意味もなく家中を徘徊していた。

原因は風邪をこじらせた為に服用する薬の副作用を押さえるために処方された安定剤の思わぬ効果だった、本来の狙いは副作用による動悸を抑えるものだったのが、これまでの生活環境で積み重なってきたストレスまでも一気に消し去ったのだ。人間はストレス無しでは生きてゆけないと言われている、負担ばかりかと思われているストレスが逞しく生きて行くための発奮材料になっていたのだと今になって感じる。

そのストレスがゼロになったいわば理想郷を体験してしまった人間を襲ったのは今まで無意識に受け止めていたあまりにも重圧なストレスへの恐怖感だった。

そんな局地に迷い込んだ様子の人間を見て俺が感じた事を正直に書く。「これが私の愛する妻か?見た目は同じなだけの化け物だろう?俺が話しかけているお前は誰だ?」現実を受け止めるまでに4日かかった、この間俺は同じ家にいながらもその様子が怖くて妻との接触を避けていた。窮地で見た俺の「愛」と思い込んでいた真の姿だ。

ストレスは過給機と同じで強烈な加速と馬力を生み出す代償に発熱などの負担をエンジン与える。俺達は現代を生き抜く為に諸刃の剣を駆使して思考能力を強引に引き上げてきた、精神科に並んだ患者の列を目の当たりにした時に確実にそのツケが回ってきていると痛感し、落胆した。

どんなに満たされた人生を送ろうが欲望が満たされることは一瞬たりともありはしない。この神の教えのような一文は今の俺にはよく理解できる。生涯一度の成人式を棒に振ってまで駆けずり回って始めたこの仕事、その頃は仕事の依頼は皆無、仕入れをするほど積みあがる負債に眼をそむけて明日が来るのを怯えるように毎晩眠りについていた頃、この仕事を生涯続けることさえできればそれ以上の幸福は無いと信じていた。 それなのに今はどうだ?途切れることのない接客対応、営業時間外はすべて管理業務、運良く休日を手に入れても鳴り響く携帯電話に何度それを破壊しようと思ったことか…。

15年前に画いていた理想郷が今まさに現実化されているのに、拒否反応をする自分の精神に憤りを覚える、そんな自分を客観的に軽蔑するもう1人の自分がいるような、俺は今一体どうなっているんだろう? 突っ走る俺は何処へ向かっているんだろう?そこはもう理想郷を越えた光の地か?それとも暗闇を手探りで這い回る現実の世界か?

遠くに見る彼方の暖かな感触はただ春の夜の夢の如し。