SEVENTH HEAVENS
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幻 2011/11/286
来るべき時が来た。

とでも言えばよいのだろうか?真剣にアクアリウムに取り組んでみようかと思う。別に今までふざけた仕事をしていたなんてことは微塵もなく、誰に対しても胸を張って「熱帯魚屋です」と言えるような仕事をしてきたつもりだ。ただ、仕事として15年、趣味として数えれば30年以上観賞魚と接して生きてきた俺にとってのアクアリウムに魂が込められていたかかと思うと明らかに否定論の方が多いのに気づく。異常な人見知りで外出時はいつも下を見ながら歩くような俺が、この半年間我が身を引きずりながら様々な人に会ってきた、その出会いの一つ一つから今まで想像もしなかったような世界が広がり、それと同じくらい今までの自分の世界の狭さや愚かさを気づかされてきた。

世界を牽引するようなカスタムビルダーが「親父がバイクに乗っていて、俺が生まれたときから バイクと共に生きてきた…」なんてエピソードを雑誌で見かけるけど、俺が生まれたときには家に水槽なんて無かった。でも俺が生まれる1年前死んだ じいちゃんが趣味が高じて親戚中の子供に河原から石を拾わせて庭に池を作った…という話知ったときに思わずクスッっと笑ってしまった。きっと今は夫婦共に俺の仕事ぶりを見てくれているだろう。

まっさらな紙に絵を描くとき、まっすぐな五線譜に音符を乗せるとき、空っぽの水槽に世界を創るとき、ほんの一瞬だけど人は神になる。無の状態から宇宙を創造するビッグバンがその時に起こっている。「水景を作るときにどんな事を考えているのですか?」とよく聞かれる、仕事として水景を作るときにはもちろんあらゆる方程式と色相バランス、メンテナンス性などを十分に考慮するが、自分の水槽であればそれらは必要なく、逆に言えば考えるきっかけがないので困惑する事が多い。そんな時は音楽を聴く、1曲だけのエンドレスリピート。イヤフォンをして目を閉じて、全身の力を抜くといつしか精神は自分の身体を離れ想像という名のリアルな世界に身を投じる、その時の自分は完全に精神異常者だ。数日間鬱病のように部屋の片隅で膝を抱えて座り込み、耳をイヤフォンで塞ぎ、向こうの世界で何かを掴んで必死になって戻ってくる。でも、それらのほとんどは水槽で実現するには無理があるようで造り上げたり、維持することに苦戦することが多い、いくら想像力に長けていてもそれを現実にする力がなければ意味がない。神の創造の前では人間はあまりにも無力だ。

真剣にアクアリウムに取り組むという意味をどのように解釈いただいてもかまわない。ただそれは、単に見た目を美しく作るとか、使用する製品にこだわるといった次元を遥かに超えるものであることは確か。趣味や稼業としては成し得ない本物の「水」を創りたい、それは生涯取り組んでもたどり着くことのできない事かもしれない、でもやるだけの価値はある、俺にしかできない、本気でそう思っている。書くことは誓う以上に勇気が必要だから。