2014年2月27日午前6時 携帯電話の目覚ましアラームを止めて再び眠りにつく…いけねぇ!再び時計を見たら時刻は6時20分、急いで服を着替えて台所にあった小さなあんパンを2個失敬し、まだ薄暗い空の下いつも出勤する道を歩き出した。

四国遍路八十八箇所…弘法大師空海が作ったと言われる極楽浄土への道、その過酷さはあまりに有名で困難な事の例えで使われることも多い。理由はわからないけど四国遍路に強い憧れを持っている俺はいつか歩いて挑戦したいと思っていた。総行程は諸説あるも1,000km以上と言われており、若者でも歩き遍路では最低40日は必要とされている。でも、現状を考えると仕事を辞めない限り40日間は確保できないし、仕事を引退したような歳では歩き遍路など達成できそうもなく、今でもその願いは叶わないと思っている。
そんなある日、仕事の合間に立ち寄ったマクドナルドでコーヒーを飲んでいると目の前にお寺があることに気づいた、そこで本場の88箇所は行けないけど、地元のお寺を8.8箇所巡って1/10スケールの遍路を体験してみようと思いついた。まずは上越に存在する寺院の情報を調べてみるとこれが意外に数多く存在することが判明、この中から知名度や特徴などを考慮して8.8箇所をピックアップ、最後にそれらを効率よく一周できるような道順で1番から8.8番までの札所が決定した。当然そんな遍路など空海はおろか観光協会が決めたわけでもなく俺が勝手に作ったのだから誰も知らないし、達成したからといって大願成就するわけもない。仕上げにとある作家が8日間という限られた日数で四国遍路に歩いて挑み、室戸岬の24番最御崎寺を目前に断念したという作品を読み、その本を閉じた瞬間「よし、明日やろう!」と決意(今回の写真のアングルなどはその本がモチーフ)。妻に「明日上越遍路八.八箇所やってくるわ!」と伝えたら「そうなの」というあっけない反応、もはや旦那の奇行に対して一足先に悟りを開いているようだ。
 

1番 五智国分寺

2番 本願寺国府別院


3月を目前に控えた天気予報ではその日の気温は10度を超えると伝えられていた、その気温の中で歩いているなら防寒具は必要ないだろうとヒートテックのインナーに薄手のフリースだけ着て出発、この選択が前半の旅路に思わぬ影響をもたらすことになる。
大陸の大気汚染物質が春の風に乗って日本を襲い昨日は大気汚染の注意報が出ていた、今日もその影響が残っているようで空気は白く霞んで遠くの山並みがよく見えないぐらい、早起きして味わえるせっかくの朝の空気なのに非常に気分が悪い。そして周囲の水田に残った雪が地表近くの空気を冷やし、まるで冷蔵庫の中にいるような寒さ。歩き始めてしばらくすれば体が温まると思っていたが甘かった、15分ほど歩いてセブンスの近くまで来たのに体は温まるどころか冷えきってしまったが、引き返す気にもならず予定通り山麓線(県道63号線)を進路を北に向けて1番札所である五智の国分寺に向けて先を急いだ。
まだ7時前だというのに通勤途中の車が走り回っている、たぶん車で行けば国分寺なんて10分もかからないだろう、そこへ歩いて1時間以上かけてさらに意味もなく行こうとしている今の俺は道行く人々の誰よりも非効率的だけど誰よりも特別な存在だ。いつもは車で通り過ぎるだけの飛ぶような景色の中を1歩1歩進み、登校する小学生の列に紛れて五智の住宅街に入ってゆくと次第に古い建物や史跡が目立つようになってくる、RC構造の建物が並ぶ幹線道路から歩いてくるとまるで時間を遡っているように錯覚してしまうようだ。ほぼ予定通り1時間、手袋をしていた手先までもが冷え切った頃、目の前に伸びた石畳の先に巨大な山門が現れた。1番札所国分寺である。
山門をくぐるとその先に印象的な三重棟そして本殿がある、本殿は俺が小学生の頃に焼失してその後再建された。俺は見ていないのだけれど、火事の時は空が真っ赤になるほどの大火事だったらしい、なるほどこれだけの木造建築が火事になれば無理もないだろう。さて、どうしたものか?今回は俺が勝手に作った遍路ゆえ、四国遍路のような納経帳もないし、お経を唱える必要もない、とりあえず本堂の前で合掌して写真を数枚撮り、1番の国分寺は終了。ちょっとあっけないなぁ。

次は2番本願寺国府別院、ここから1kmほどのところにある。進路は南なのでここまで苦労して進んできた道をあっさりと引き返す事になる、選んだのは自分とはいえ我ながら残酷な道程である。2番札所は道沿いにある大きな看板ですぐに見つけることができた、山門は無いものの本殿は国分寺に負けないぐらい立派な建物だった、恥ずかしながらこの2軒とも地元にありながら今までまともに見ることがなかったので普通に驚いていたりする。
 

加賀街道に残る松並木

3番 林泉寺


進路は南ながらも今度は幹線道路ではなく、加賀街道(県道185号線)という歴史のある道を進み3番札所の林泉寺を目指す。街道沿いには少しだけ松並木が残っていて当時の面影を感じることができる、名だたる大名達も通ったであろうこの街道をまさか勝手なお遍路さんが通るとは上杉謙信も思わなかっただろう。加賀街道から西に曲がり、春日山城跡を正面に進むと水田の広がる静かな道、そして杉並木の続く参道へ続いてゆく。戸隠の奥社への参道を思わせる雰囲気はとても静寂で、腰に下げた家の鍵がチリンと音を立てるとまるで本当にお遍路さんが歩いているかのような気分になれた。
3番札所林泉寺。小学校の時に遠足や写生授業で何度も訪れた事があるし、実は境内に点在しているビオトープの陶器はセブンスが納めさせてもらった物で何かと縁の深いお寺であります。まだ早朝ゆえ境内に入ることはできないので門の前で合掌し、写真を数枚撮らせてもらって再び杉並木の間を歩き出す。
 

少しだけ陽が差してきた

4番 浄興寺


雲に覆われた空から日差しが降りることはなく、体の冷えは限界、それに加えて足も痛くなり始めた。歩き始める前は幹線道路は避けてなるべく昔の道を通って情緒を楽しんでみようか?なんて考えていたけれどとんでもない、今はどの道を通れば最短距離で次の札所へ行けるか?この空き地に雪が無ければ近道できたのに…そんな事で頭が一杯だった。そして辛くなるほど煩悩が消えるかと思っていたけどそれも逆、辛さを少しでも忘れようとしているのかここで書けないようなアホな事ばかり考えてしまう…。たぶん行程の中間地点になるであろうセブンスの前まで戻ってきた、立ち寄る予定ではなかったのだが寒さに耐えきれず逃げ込むように店に入った。
そこで緊張の糸が切れたのだろうか?鍵を開けた手が動かなくなったと思ったら全身冷え固まってしまい体が動かず、暖房のスイッチを入れたところで椅子に倒れ込んでしまった。
四国遍路には「おせったい」という風習があって道中の所々に無料の休憩所を設けお茶や飴をふるまっているのだそうだ、残念ながら今回の遍路にそんな風習は無いのだが持ってきたあんパンを取り出してむさぼるように食べ、カテキン入りのお茶を飲んだら少し気力が戻ってきた、まさか自分の店におせったいをしてもらうとは思わなかったけど、存在してくれていて良かった。感謝の気持ちを伝えて再び俺は歩く旅の人となる。
時刻は午前10時を過ぎ、この頃から次第に雲間に太陽が姿を現すようになった。明らかに気温が上昇し、寒さは次第に気にならなくなるもいよいよ足の痛みが増してきた。距離にして10km程度しか歩いていないはずなのに、いかに日頃の生活で怠けているかがよくわかる。脚の付け根からふくらはぎまで攣るような感覚と足の爪が圧迫されている痛みが気になり始めた。

次なる目的地は4番札所の浄興寺、ここからは寺町と呼ばれる寺院の密集する地区に入る。その中でも一番大きな本堂を構えるのかこの浄興寺である。不本意ではあったけれどセブンスから幹線道路を南に進み、さらに浄興寺のすぐ裏手にできた新しい道に曲がると出発から15分ほどで本堂の姿が見えた、さらに失敬ながら裏門から境内に入るという不甲斐ない最短距離で本堂の前に到着、近年の大改修で古の風合いは感じられないが、萱で作られた巨大な屋根の迫力は他の寺院を圧倒していた。雪の季節ゆえ、本堂の周りも囲われて山門も閉じらてしまっていたけれど、出るときはちゃんと正面から失礼させていただいた。
 

5番 善導寺(観光パンフレット風にしてみた)


寺院密集地帯ゆえ4番から7番まではリズム良く巡ることができる、5番札所善導寺は事前の調査によると住宅街に囲まれているようなので地図を頼りに狭い路地を入ってゆくと山門の横側にたどり着くことができた、門の正面に回り込むと両端に立つ仁王像が姿を現す。この地区でも仁王像がある寺院はほとんど無く、札所に選んだ理由がこの仁王像である。年代を感じさせる門の造り、門の壁には仁王様が履くのだろうか?50cmはあろうかという巨大な下駄が下げられて面白い。それらをカメラに納めていると「寺院巡りって楽しいかも?」と感じている自分に気づいた、宗教だけに元々人を引き込む力はるのだろうがちょっとマニアックすぎる。
門を眺めている時から気になっていたのだが、境内を近所の人が普通に自転車で通っていたり、抜け道代わりに使っていたりしている。よく見れば本堂から仁王門、そして山門にかけて真っ直ぐ参道があり、そのすぐ両脇に家が建っているのだ。もしかしてこの寺は住宅街に囲まれているのではなく、境内だった土地に後から家が建てられてこうなったのではないだろうか?どういう理由でそうなったのかは分からないけど、寺院と住民が密接な関係で結ばれているように思えてちょっと嬉しく思った。
 

6番 常敬寺

7番 東本願寺高田別院


続いて6番常敬寺は朱色の門が特徴という事で選び、住所を見るとすぐ近くにあるはずなのに見あたらない。ここでのロスは足にキツイのだが周辺を10分近く歩き回り何度も地図を見直してたどり着いたのがなんと5番善導寺のすぐ隣りだった。確かに真っ赤で見事な門だがそのスケールが予想よりも遥かに小さくて前を何度も通ったのに気づかなかった、調べた時の画像ではスケール感まで把握することができずこういう事になってしまったというわけだ。たぶん俺の撮った画像でも同じ事が起こると思うが、横にタバコの箱でも置いておけば良かっただろうか?なんだか申し訳ない気持ちになってしまい、写真を撮ったら手を合わすことも忘れて立ち去ってしまった。

もはやこれ以上の体力ロスは避けたいので入念に地図を確認してさらに最短距離の細い路地を抜けてゆく、途中いつ作ったのかわからないようなケーキが並ぶ小さな洋菓子店とか、1種類2個ずつしか置いていない自家製パン屋の存在に驚く一方、それ以上に廃業した商店跡が多いのに気づく。車で何度も通ったのに今まで気づくこともなかった、歩く速度でしか気づかない事の多さに驚きつつ、地域と密着した「古き良き商売」のスタイルが失われている現実が悲しくて仕方がなかった。そんな住宅街の端にあるのが7番札所東本願寺高田別院である。ここでは「おたや」と呼ばれる縁日のような行事があって、境内に数店の露店が並び近所の子供達が楽しそうに遊んでいるのを見たことがある。きっとそれも古くから続いている伝統なんだろう、そういう風習はぜひ今後も続けてほしいと思う。
 

雁木のある街並み

8番 最賢寺


いよいよ上越遍路も終盤、次は8番札所最賢寺。ここは規模や特徴ではなく距離で決めた札所である、セブンスを中心として1番国分寺の距離とちょうど正反対に位置する最賢寺はこの遍路終盤にして最大の難所、四国遍路で言えば室戸岬か足摺岬といったところか?7番高田別院から南へ進むと街道に突き当たり、そこからソチのオリンピックで一躍有名になったレルヒ少佐の銅像が立つ金谷山スキー場のある山を背に東へと進路を変える(県道198号線)。踏切を渡ると道の両脇に雁木が続く雪国ならではの伝統の様相となる、創業何百年という老舗が残っているぐらいの通りなので昔からある道なんだろう、普段車ではその情緒を感じ取る余裕も無いので頭がぶつかりそうなやや天井の低い雁木の中を通りながらゆっくりと歩いてみた。店からお年寄りが数人出てきたと思ったらまた数軒先の店に入っていった、きっと挨拶代わりの定番コースなんだろう、物の売り買いを越えた繋がりのある商売は今や絶滅寸前になりつつある。
そんな通りを端まで歩いた所に8番最賢寺はあった、この時期なので仕方がないのだがどこのお寺も本堂や門は雪囲いで覆われてしまい、建築物の素晴らしさを伝えきれなくて残念ここ最賢寺も同様だったがすっかり身についた合掌を終え、写真を数枚納めていよいよ最後の札所善念寺を残すのみとなった。
 

8.8番 窓の向こうに善念寺


ここまで5時間以上ほぼ休まずに歩いてきた、四国遍路の気分を少しでも味わうなら過酷な方がいいだろうと思っていたから。でもさすがに運動不足の体には辛くなってきて、この時点で両足の付け根からふくらはぎ辺りまで傷みを感じるようになり、足の爪も圧迫されているようで傷みがひどく、歩き方がぎこちなくなってしまう。これが40日以上も続く四国遍路、距離だってこの50倍、大願成就とはほど遠いものよ、俺が今日倒れるまで歩いたところで誰1人救うこともできないだろう。自分の小ささが見えた頃に感じ始めたのがもう一つ、この遍路で数多く見てきた廃業された店舗の数々、経営難や跡継ぎ問題…理由はいろいろだろうけど店を辞めるというのは例外なく苦渋の決断だったはず、そんな辛い決断の痕跡を見てきた俺の現状は本当に恵まれているんだなぁと改めて知ることができた。

天気予報では雨の話もあったけれど、幸運にも空は曇り空のままで傘は必要なし。でも路肩に残る雪が解けていたるところに水たまりができ、靴はもう中までびしょ濡れだった。途中のスーパーで何も買わずトイレだけ済まし「もう少し、あともう少し」と心の中で自分を励ましながらたどり着いたのはこの遍路の企画を思いついたマクドナルド。いつもの朝と同じようにコーヒーを1つだけ注文して、いつもの朝と同じ席に座って熱いコーヒーを一口飲んだところでついにゴール!…え?お寺には行かないのかって?ほら、善念寺が目の前にあるじゃないですか、ここで終わりだから最後は0.8なんですよ。

計画の時点では余裕があったら家まで歩いて帰ろうと思っていたのだが、もはや1歩も歩く気になれずマクドナルドまで車で迎えに来てもらって帰宅、歩数から距離を計算したら約19kmの道のりだった。想像よりも遥かに短い距離でちょっと残念、だってマラソン選手なら1時間で終わってしまうんだからこの程度の歩く旅ではロマンがなさ過ぎる。

四国が俺を呼んでいるような気がした…。