空にポーチュラカの花束を 2017/4/10

長岡市の旧街道沿いにある小さな旅館。もう10年以上前のことだけど、その旅館のダイニングルームに水槽を設置したいという依頼がきた。わざわざこんな離れた熱帯魚屋に頼む事もないだろうと思ったが、過去にちょっとした縁があり、ぜひ私にという事だった。

旧見附市にあるその旅館だが、失礼ながら温泉が湧くわけでもないし、近くに観光名所もない、本当にただ泊まるだけの宿なのだが、創業者である女将さんが生涯できるだけ多くの人と出会い、そしてその人達のための役に立ちたいという決意で始めたらしい。

水槽を設置してから1年程経った頃、近くを通る用事があったので点検を兼ねて訪問した時の事。急に現れた私に驚きながらも女将さんは快く迎え入れてくれて、水槽のあるダイニングルームでお茶をいただく事になった。 「何も用意していなくてごめんなさい」と女将が言うも、卓上にはゴディバのチョコレート。お恥ずかしながら今まで食べた事もなかったので、それが美味いのかどうかも分からなかったが、一緒にコーヒーも出してくれた。「お砂糖とミルクは入れる?」と聞くので両方お願いしますと言ったら「まだまだ子供なのね」とクスッと笑われた。普通ならムカッとするかもしれないが、チョコの味も分からないし否定する事はできないなと受け入れた。何よりも女将さんの物腰に全然嫌味がなくて、何を言われても腹が立つなんて事はないし、むしろこちらの話を目を輝かせながら楽しそうに聞いてくれて、時間が経つのも忘れるぐらい心地良い。

1時間ほど話をして旅館を出ようとした時、女将さんが「これは奥様へのお土産ね」とバーバリーのハンカチを2枚持たせてくれた。たかが水槽1本納めた熱帯魚屋、しかも「ついで」に立ち寄っただけである…。

急な客人にも関わらず、そのもてなしには一寸の隙もない。それに加えて誰隔たりなく受け入れてくれる大らかな人柄、すっかり女将さんに魅了されてしまった私はいつしか「見附のオカン」と慕うようになっていた。

なぜ「オカン」なのかと言うと、オカンはとにかく元気で明るい、まるで関西のノリのようなのでオカンなのだ。それ以来水槽点検や魚の配達で立ち寄った時も同じようにもてなしてくれて、その時「コーヒーは?」と聞かれて「ブラックでお願いします」と答えた時、思わず二人で笑ってしまった。 そう、俺はそれ以来コーヒーをブラックで飲めるように特訓してきたのだ、最初は苦くて無理に飲んでいたのだけども、慣れてくると逆にコーヒー本来の味が楽しめるようになってきたし、体重は10キロ近く落ちて健康的な体型を取り戻していた。全てはオカンのあの一言のおかげ。

そんな話をするとオカンも私に感謝している事があるという。ダイニングルームは宿泊者のための食堂も兼ねているのだけども、水槽を設置してからお客さんとの会話が一段と弾むようになったらしい。「食べるだけの部屋」から水槽を置く事によって「交流する部屋」になって、オカンの理想が叶ったと本当に喜んでくれていた。そして、こんな素敵な仕事をしている私の将来を真剣に応援してくれた。

いつの日か友人と一緒に普通のお客さんとしてこの宿に泊まってみたい、きっと友人も人生に何らかの変化が起こるに違いない、いつしかそんな事を考えるようになり、この間もそれを思い出していた。

そんなオカンの訃報を聞いたのは昨日、5ヶ月前に病で倒れたと。信じられない、病とはいえあんな元気な人が急に…。聞けば体調の変化は感じていながらも精密な検査をしてこなかったらしく、病気が判明した時にはすでに手遅れの状態だったと。気丈な性格が裏目に出てしまったのだろうか?私に連絡が無かったのも迷惑をかけないようにしていたのかもしれない。

今まで完璧なおもてなしをしてきたオカンだけど、唯一俺を呼ばなかったというのはおもてなしとは違う!出会いと別れがあっての一期一会なのに、こんな別れじゃ客人に失礼だろ!どんな状況でもいいから最期にちゃんとお礼が言いたかった…。

血の繋がっていない母ではあるけども、その「もてなしの心」はオカンと過ごした全ての人に受け継がれる。もちろん俺にも、そして宿を継いだ二代目若女将にも。

行動は考えているだけじゃ意味がない、実際に動かなきゃダメだ。時間は待ってくれないのだから…これがオカンが教えてくれた最後のおもてなし。
オカン、見ててよ!俺はこの仕事で一人でも多くの人と出会い、もてなしてみせます。そして悔いなく燃え尽きた時はあのとびっきりの笑顔とブラックコーヒーで俺を迎えてください。