スイッチ 2011/6/7

 初めて魚を飼ったのはいつ頃だっただろう?一番古い記憶は5歳の頃に網でつかまえた川魚をステンレスのフレームがある水槽に入れて一日中眺めていた時。その後は近所の夏祭りでもらった金魚、それ以来俺の人生から魚が離れたという時は一度もない。根っからのアクアリウムフリークという自覚もないし、特にそのために図鑑を開いたり誰かから話を聞いたりという事もしなかった、ただ1人で部屋にある水槽をじっと眺めているのが好きな地味な子供だったような気がする。
  将来何かを掴んでやろうと決めたのは中学3年の時、テストの成績は学年でいつも3位という俺だった、もちろん下から数えて…。勉強するのが本当に嫌で、部活のバスケットも嫌々で、そんな人間が内申書に書き残せる物といえば生徒会で上の地位になることだった。生徒会の仕事なんて面倒な事ばかりで誰もやろうとしないので、ただ手を挙げるだけで選ばれる事ができるから。担任からやる気だけは認められたが、さすがに生徒会長までは上がらせてもらえなかった、ワースト3位の生徒会長ではあまりにも示しがつかないのだろう、結局生徒会は会長補佐として卒業した。高校に入っても勉強嫌いは治らず2年の3学期が終わる頃まで毎回補習を受けてかろうじて留年を免れる日々。アクアリウムを仕事にしようと決めたのは高校3年の時、詳しくは恥ずかしいので書けないけれど、ある夢を追う若者の話に影響を受けて、人生の一大決心をした。そこで初めて自分の中の「スイッチ」が入った感じがした、ショップの立ち上げ方なんて全然わからないのでその時は思いつくことをとにかくがむしゃらにやっていた。バイト代はいらないから雇ってくれと地元のアクアリウムショップに飛び込んだ、そもそも俺の学校はバイト禁止だったので生活指導室に殴り込み、夢に向かう生徒の邪魔をするのか!みたいな訳の分からない言い分で許可ももらった。それで留年でもしたら殴られそうだったので、テスト前だけは徹夜で勉強するようになり、唯一好きな生物学だけは全国で1ケタの順位をもらうようになるまでまともになった(唯一の自慢)。
 今思えばこの頃から俺の中でのアクアリウムが少しづつ変化していた、今までごく自然に生活の一部だったアクアリウムが、自分の収入や販売責任という考えもしなかった事が結びついてくるようになった、この事は自分の中で割り切らなければいけないというのを下積みの中で学んできたつもりだけど、想像以上のギャップにアクアリウムと距離を置くようになっていった。それが少しだけ変わったのが店に展示している水景を見に来る人が来てくれるようになった事、声をかけてくれる人もいれば黙って水槽の前に立っている人もいるけど、自分の水槽が誰かの役に立てているような気がしてから少しだけこの仕事の意味を感じるようになってきた。
 売って終わり。作って終わり。はショップオーナーとしてはあり得ない、ショップオーナーはアクアリストである前にアクアマネジャーでなくてはならない、水槽一本ごとのコンディションを見極めて適切な処置をほどこし、最高で完璧なパフォーマンスを見せつけなくてはならない。それだけでもプレッシャーに押しつぶされそうになる、水槽オーナーから電話がかかってきただけで水槽にトラブルがあったのではないかと毎日怯えている。
  アクアリウムセラピーなどという言葉が広がりだしている、水景が人の心にやすらぎを与えるのはもはや間違いはないだろう、だがそれはその水景が最高のパフォーマンスを成し得ている時に限定される、結局そのやすらぎを与えるのはマネジャーの腕一本にかかっている。他の職業に比べれば熱帯魚屋なんて微々たる苦労でしかないと思うけど、今の俺自身では乗り越えられない限界が最近になって見え隠れするようになってきた。見栄ばかり張って強がってはきたけれど、自分がこんなに弱い人間とは思ってもいなかった。
  純粋にアクアリウムを楽しめないのはショップオーナーになってから変わらないけど、街中で見かける水槽の前で立ち止まって眺めているとガラスに映る自分の姿にハッとする、坊主頭で網持って魚を追いかけてるなんて30年経っても俺は何も変わっちゃいないじゃないか。床に寝そべってずっと金属枠の水槽を眺めていた頃の自分はきっと俺の中に残っている…そうだろ?