リジル 2011/1/24

 目の見えない少年がピアノで世界を震撼させたのはまだ記憶に新しい。
 人間の持つ五感の中で視覚というのはかなりの影響力をもっているらしい、逆に言えば目が見えないということは生きてゆく上で相当な負担になるということになる。そんな運命を神から授かりながらも他の人間を感動させるというのは本当にすごい事だと思うし、もしかしたら人間だけではなく他の動物でさえ彼のピアノの前で立ち止まる事さえあるかもしれない。
 道具に頼ることなく生き抜いている動物達は視覚以外に音や匂いはおろか、地球の発するわずかな磁波、もしかしたら我々では想像のできないような周波さえも感じているかもしれないのに、人間には視覚に頼りすぎてしまっているように思える、水晶体を通して映る物体の色は結局は脳が勝手に着色しているだけであって、それが事実の色彩とは限らない、夕焼けが赤く染まるなんて思っているのは人間だけかもしれない。視覚は最もアナログ的なバーチャル世界…そして与えられた五感は失われてゆく。
 母が音楽関係の職業に携わっていた事で、私は幼い頃からピアノやフルートの音色の中で育ってきた、音符なんてさっぱり読めないし、曲も弾けないけどピアノやキーボードで遊ぶのは好きだし、(ちょっと書くのが恥ずかしいけど)水景製作の依頼を受けた時は寝る前にイヤホンでクラシックを聞いてイメージする。何も無い所に世界を作るという行為には五感以外に必要な物があると思っている。
水景界の巨匠と直接話をした時、石を並べる時に一番重要なのは「視覚」だと断言していた、当然といえば当然の話で、作る側も見る側も作品を「目」で見るのだから同じアンテナを持っていなければ送信も受信できない。
 私はこの業界にいる以上はその巨匠と戦っていかなければならない、いつか互角に、そして超えていかなければならない。それがこの業界のユーザーの為でもあるし、発展の為でもあるし、家族の為でもある。悔しいけど彼には隙が無い、作品の完成度も、ライフスタイルも、歩みを止めないバイタリティでさえも完璧だと思う、世界に立つのは当然の存在なんだと思う。
 第六感…五感を超越した感覚のことをそう呼んでいるらしい。ピアノの少年が世界を震えさせたのは彼が鍵盤を視覚はもちろん、聴覚で弾いたのではなく精神で奏でたからだと信じている、耳で弾いた音楽は結局耳でしか受け取れない、それはただの音声信号であって脳が勝手に再生しているだけ、精神から発せられた周波を精神で受け止める事ができればきっと金縛りにあったようなすごい事が起こるんだと思う。
私の創る作品はまだ子供の落書き以下でしかないけれど、命の果てるその日までに一度でも精神の水景を創ることができれば生まれてきた意味の一つを知る事ができるのだろう。

六感…私はそのリジルを両手に握り締め戦ってゆく。