道具の存在意義 2008/6/2

 ピンセットは手芸用、ハサミは100円ショップの文具用、俺の最初の道具はここから始まった。当然使い勝手が悪いのは分かっている、ではなぜ業界で販売されている道具を買わないのか?それはたかが草を植えるためだけの為に2,000円も3,000円も払うのはバカらしいから。その判断はすべて「価値観」から成っているものであり、製品の性能云々とは全く持って無関係だ、当然それに触った事もないので分かるはずも無い。しばらくして「あのメーカー」のピンセットとハサミを買う事になった、ピンセットは偶然にも触れる機会があり、その性能に衝撃を受けた事。だがハサミはそれを売る立場である以上持たなければ示しが付かないという事。当時税込みで約1万円のそのハサミのパッケージを俺は賞味期限の切れたキムチの蓋をあけるような気持ちで開けた、手に持って使ってみてもやはりその1万円の価値を俺は感じる事ができなかった。そんな物に1万円も使うぐらいなら草でも流木でも買った方がマシだったとずっと思っていたし、販売する時も決して勧める事はなかった。
 この仕事を始めてから10年経った頃に、俺は今まで感じた事の無い「物欲」に悩まされるようになった、それは仕事とは全く関係ないハーレーダビッドソンだった。アマノ製品にでさえ「事故で死んでもいいから欲しい」と思った事はなかった(まぁアマノ製品では死なないけど)、その時点で俺はいつの間にかアマノを「趣味」としてではなく「仕事」として見ていた事に気が付いた。「腐っても鯛」とは良く言ったものでオートバイに数百万円の金を払うなんて事は乗らない人にとっては正気の沙汰とは思えないだろう、でもその時の俺は(金額だけに当然悩んだが)信じられない早さでそれを決断した、もちろんそのキムチの賞味期限は切れてはいない。手に入れたハーレーダビッドソンは1981年に製造されたオンボロと言われても仕方が無い年代の物で現代の乗り物に関する常識が通用しない部分が多数あった(ハーレー100年の歴史からみれば新しい方なんですけど)、オイルは漏れて当然だし、今みたいにエンジンはコンピュータ制御なんてされていない、エンジンに送り込まれたガソリンに点火するタイミングを司るのは理科の電池の実験用具の様な装置だった、日頃の整備なしではとても普通に走れる乗り物とは(外見上は)思えなかった。でも、後悔はしていない「こいつと死ぬ」と決めた一台だし、自分の歳とたいしてかわらないというのも感慨深い。
 ハーレーダビッドソンに乗るようになってからこいつと真剣に付き合って行くにはどうすれば良いかずっと考えていた、そこで浮かんできたのは最低限の整備ができるだけの道具や環境が必要だということ、そしてその道具の信頼性が非常に重要だということ。だが、車両の購入で予算面で相当な無理をしたためにそれを揃える事が出来ていないのが唯一後悔している事だ。俺のハーレーダビッドソンは世界に一台しか無い、もし壊れたら直さなくてはいけない、でも逆を考えれば直せばいつまでだって走れるのだ、ということに気付いた。
  世の中には俺のオンボロハーレーよりも数万倍高性能なオートバイや車が縦横無尽に走っているが、新車で買って数年もすると「修理にお金を使うぐらいならまた新車を買った方がマシだ」という考え方に関して疑問を抱くようになってきた、ある作家の一文に「高燃費の低公害新型車を買うのが環境保護というが、それまで乗っていた車の解体に大量のエネルギーを消費する」というのが書いてあった、俺はそれに賛同する。最近5年ほど使用した某メーカーの外部フィルターから水が漏れるようにようになり、分解してみたが自分ではやや手に負えない症状だった為、メーカーに電話をして対策を聞いてみた、すると出てきた答えが「5年も使ったなら修理するより、新品を買っていただいた方がよろしいかと…」唖然だった、まずは使用年数に対して「5年も」と言った事、俺の経験ではパッキン等の消耗品を除いて外部フィルターは15年使った物がいまだに店で現役で稼働しているのに「5年も?」一体どんな想定で製造しているのか?さらにショップがそう言うならまだしも、メーカー本社がそのような考えでいる事に驚いた、それはつまり「私共の製品はせいぜい5年で使用できなくなります」といっているようなものだし、自社製品を5年も愛用してくれているユーザーに対して「新しいのを買ってくれ」というのはあまりにもひどいのではないか?俺はそのメーカーの製品を売るのをやめようと思う、それといくら修理代がかかってもいいからそのフィルターを直してみようと思う、それはもちろんメーカーの名誉のためではなく、そのフィルターに感謝と激励の意味を込めて。
 そして今あの「賞味期限の切れたキムチ」は メンテナンススタンドという最高の舞台の上で誇らしげに輝いている、それは想いの込めた世界に一つのアクアリウムを創り上げるための欠かせない道具として。